千葉県館山 鷹之島辨天閣  鷹の島 鷹之島 高の島 高ノ島 弁財天

更新日 2010年4月26日

1000年の歴史ある鷹之島。
広く皆様に愛されるイチキシマヒメノミコトを祀る鷹之島弁財天


鷹之島弁財天復興事業につきまして、
ご協力頂き誠にありがとうございました。


鷹の島弁財天

<改修前>
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自然がたくさん  鷹之島辨天閣  千葉県館山 鷹の島 鷹之島 鷹ノ島 高の島 高ノ島 弁財天  
豊かな自然に恵まれた千葉県館山市に、「鷹之島弁財天」はあります。
安房の表玄関である館山港を見下ろす鷹の島にある鷹之島弁財天は、平安時代に祀られたと伝えられ、昔から漁師や船乗りたちの信仰を集めています。

元は海に浮かぶ島でした。館山海軍航空基地の埋め立て造成により、今のような陸続きの地形になりました。
海上自衛隊館山航空基地との関わりは古く、昭和5年に鷹之島を含む海上部分を埋め立てて海軍館山航空隊が開隊されて以来、基地のそばにあり、守り神のような存在としてゆかりの深い神社です。



鷹之島弁財天のはじまり 鷹之島辨天閣  千葉県館山 鷹の島 鷹之島 鷹ノ島 高の島 高ノ島 弁財天 
平安時代、永長2年(1097)安房の国司、平安時代、永長2年(1097)安房の国司、源親元公(みなもとのちかもと)が沼の総持院を建立された。その頃の国司は任地に来ないで名前だけの国司も多くいたと書物に書かれているが、親元公は実際に任地に着任し、3年間安房の地におられ、1096年北野天神を勧請し、総鎮守として沼の天満神社を建立、他に多賀之嶌弁財天・宇賀明神等も建立。これも親元公の実績である。

宇賀明神は沖の島にあり、両方の神社には琵琶湖の竹生島の神様を勧請したようである。竹生島の弁財天は奈良県の天川大弁財天社の勧請によるものとされるので、結果的に鷹之島弁財天は天川大弁財天社の勧請されたものとなる。

鷹之島弁財天 御祭神 イチキシマヒメノミコト 鷹之島辨天閣  千葉県館山 鷹の島 鷹之島 鷹ノ島 高の島 高ノ島 弁財天 
鷹之島弁財天 御祭神 イチキシマヒメノミコト 鷹之島辨天閣  千葉県館山 鷹の島 鷹之島 鷹ノ島 高の島 高ノ島 弁財天 
市杵嶋姫(いちきしまひめ)は、日本書記にある「宗像三女神」のひとり。
宗像三女神は、スサノウとアマテラスとの間で”誓ひ(うけい)”を行い、そこから生まれました。市杵嶋姫(いちきしまひめ)は、海上交通の平安を守護する神として古くから祀られた神であります。
古事記が語る”荒ぶる神”スサノウの伝承

平安時代、堀河天皇の永長2年(1097)安房の国司、源親元(みなもとのちかもと)公は国司着任の前からお寺や神社を大事にされた方で、赴任すると先ず自分の俸給を割いて建立しました。
その頃には任地にこないで名前だけの国司も多くいたと書物に書かれています。

現在の建物は文久元年(1861)館山四ケ浦と称して岡上須賀,浜上須賀、楠見浦、新井浦を以って幕府から金5両を拝借と館山郡(たてやまぐん)役所(やくしょ)に証文があります。
その後、明治33年(1900)再度、鷹の島弁財天再建につき、上記4ケ浦寄付金をふくめて金弐百四拾弐円也を工事代金として工事請負人長須賀玉川某に受け渡しました。
明治35年(1902)9月5日鷹の島弁財財天遷宮式を挙行費用総額金6万7千円也。発起人祠掌、堀口八十司、4浦の氏子総代新井浦嶋田栄治,楠見浦浅井佐太郎、上須賀浦尾加名九五郎、柏崎浦津田又平計5名によっておこなわれたと記録にかかれています。



当時は寺を建てるときには必ずはじめに神社を建てていた。「たかのしま」は今は「鷹」「高」などの字を用いているが、古記録では「多賀之島(たがのしま)」と書かれている。



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